長嶋一茂

ヤクルトスワローズ時代の長嶋一茂 - 長嶋一茂について

長嶋一茂について

ヤクルトスワローズ時代の長嶋一茂



伝説的な選手である長嶋茂雄の長男であり、自身もプロ野球選手であった長嶋一茂。
プロを引退後はスポーツキャスターやニュースのコメンテーターとして活動し、「バカ息子」としてさまざまな番組で活躍しています。

■大学時代には6大学でベストナインや打点王を獲得
父親があまりにも偉大だったせいか、野球選手としての評判はイマイチなイメージのある長嶋一茂ですが、大学時代には6大学でベストナインや打点王を獲得するほどの活躍ぶりでした。
1987年のドラフト会議では、ヤクルトスワローズと大洋ホエールズの2球団が1位指名し、抽選の結果交渉権を得たヤクルトスワローズに契約金8,000万円で入団合意しています。

当時は確かな実力があり、その時の監督の関根潤三氏は「粗削りだけどものはいい。これは素晴らしいプレーヤーになると思った」と自著で記しています。

また、後にヤクルトスワローズの監督に就任した野村克也氏も、入団3年目の長嶋一茂を見て「4番ができた」と実力を高く評価していました。

■ヤクルトの野村監督時代
しかし、野村監督はヤクルト監督に就任した年の1990年には長嶋一茂を登用することはほとんどありませんでした。

翌年の91年は6月初旬からスタメンとして起用され、チームの球団新記録となる12連勝のきっかけともいえる3安打5打点の活躍をし、全試合中でもまずまずの成績を残しました。

しかし13連勝目のかかった巨人戦で守備のミスを繰り返し、結局逆転サヨナラ負けを喫してしまいました。

そして翌92年にはマイナーリーグの1Aベロビーチ・ドジャーズに野球留学をしたため、チーム14年ぶりとなる優勝に関わることなくやくるとスワローズでの活動を終えました。

結局、確かな実力はあるものの、プロとしてはハングリーさや実直さに欠けていたこなどが、ヤクルトスワローズで開花できなかった要因かもしれません。

また、入団当時の監督であった関根潤三氏も、後に「長嶋茂雄の息子だということで、皆遠慮があったのかもしれない。
自身が厳しくしごけば大成させられたかもしれない。
それも含めて、一茂を一人前にできなかったのは中途半端な育て方をした自分のせい」
であると自著で語っています。
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