プロ野球時代

プロ野球時代 - 長嶋一茂について

長嶋一茂について

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長嶋一茂さんは1987年のドラフトでヤクルトと大洋から1位指名を受け、ヤクルトに入団しました。

1988年、プロ初安打をホームランで飾るという偉業を遂げ、「ミスター2世」というフレーズとともに多くの注目を集めました。
しかし、翌1989年には、出場機会が減少し、1990年に野村克也氏がヤクルトの監督に就任してからは、さらに出場機会が減少しました。
野村氏は長嶋一茂さんの身体能力の高さには評価していましたが、やる気が見られないという理由で出場機会を減らしていました。
1991年には、スタメンで起用されると、6月9日のカープ戦で3安打5打点の大活躍をし、その後チームは怒涛の12連勝という球団新記録を樹立しました。
1992年は、マイナーリーグ・1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学したため出場機会がなく、チームの14年ぶりの優勝には貢献できませんでした。

1993年、父親である長嶋茂雄氏が監督に就任した読売ジャイアンツへトレードで移籍し、実力で開幕スタメンを勝ち取りました。
翌1994年には、持ち前のムードメーカーぶりで、チームのリーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献しました。
1995年には右ひじの故障が悪化し、1軍出場は1度もなく、成績を残すことができませんでした。
1996年には、コーチとの確執で、暴言を吐き、罰金と2軍降格に加え、出場停止処分を受けました。
その年のオフ、父親でもある長嶋茂雄監督から戦力外通知を受け、現役を引退、プロ野球人生にピリオドを打つことになりました。

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